皆さんは、自分が「なに教」なのか考えたことがありますか。
仏教、神道、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教…思いつくだけでもたくさんありますよね。
私は一応純血の「日本人」として生まれ、「日本人」として育ちました*1。
そして宗教のことは一切知りません。自分が「なに教」なのかなんて考えたことほとんどありません。初詣で神社、葬式でお経、教会で結婚式...なんでもこいです。なにも感じるところはありません。つまり、少なくとも私にとっては宗教は日常的ではありません。皆さんも比較的そういう方が多いのではないでしょうか。
しかし、イタリアとなると、「宗教」が生活の中に組み込まれています。国民の90%がカトリック(および、サッカーファン)だと言われます。街の中には教会があふれていますし、日曜日にはミサに行く、という人も珍しくはありません。
まあ、私は宗教にはにも詳しくありませんし、特にその点で言いたいことはないのですが、宗教がらみのイタリア語表現は覚えておいて損はないのかな、と思います。
特にイタリア人と話すときによく聞かれるのが、「君の宗教はなんだい😏」という質問です。困りませんか、この質問。「そんなこと言われても困るんだ😂」というのが私の正直な感想です。正直引くぐらい困っています*2。
そこで、こういった質問には、基本的には以下のように答えるのがいいと思います。引くぐらいいいと思ってます。
Sono agnostico.
ソーノ アニョスティコ
「私は不可知論者ですキリッ」
→「あたしよくわかんないんだ😅」
つまり、「神がいるとかいないとか、そういうことには関心ないんだ😆」ということです。「そんなもの証明できないんだから、聞いてもしかたないんだ😝」というスタンスのときに使えばいいですし、基本的にはこう言っておけば間違いないかなと思います。引くぐらい間違いない。
宗教を聞かれたときにもう一つの答え方があります。
Sono ateo.
ソーノ アーテオ
「私は無神論者ですキリッ」
→「神なんていないんだ😡」
こちらで答えるときには少し注意がいるかもしれません。こういう風に言うイタリア人もたくさんいるんですが、敬虔な方などに言ってしまうと余計な問題を引っ張ってくるかもしれません。こっちは皆さんが自分の哲学を持っているときに使ってください。それこそマジで引くぐらい自信があるときに言ってください。
まあ、半分(以上)冗談ですが、"agnostico(アニョスティコ)"と"ateo(アーテオ)"、こういうところにも気を使うと、よりイタリア語の上級者っぽくなるのではないでしょうか。
"La Reppublica"のサイトに、"agnostico"と"ateo"の記事があったので、下に貼っておきますね。
こういった宗教があっての言葉の使い方って、我々は普段あまり意識しないところですから、面白いですよね。
うん、面白い。
でも、宗教にコミットするかどうかなんて人それぞれですから、あまり気にすることはありません。
だからこの記事も別に大した意味を持っていません。"agnostico"でも"ateo"でどっちでもいい。本当にどっちでもいい。引くぐらいどーでもいい。
あの金子みすゞも言っていました。
「みんなちがってみんないい」
おあとがよろしいようで。