ITAMINKIA

イタミンキアです。おうまさんが運営する実用イタリア語検定試験完全非対応のイタリアブログです。

イタリア人は海賊だ

 

0.序

こないだ街角で街頭インタビューをしようと思って立ってました。

何を、なんのために聞くのか。

「イタリア人は海賊だと思う人はどれくらいいるか」

という私の中での永遠のテーマに答えを与えるためです。

 

とはいっても私は超恥ずかしがり屋。地球を代表する恥ずかしがり屋。

「さあ、聞こう」

「いまだ、聞くぞ」

と躊躇している間に時間がすぎ、私は結局誰にも聞くことができませんでした。

 

本来は「街頭インタビュー、100人に聞きました。あなたはイタリア人は海賊だと思いますか」というテーマにしたかったのですが、やむを得ません。タイトルを変えます。

 

今回のテーマは

「街頭インタビュー、0人に聞いて、私が街頭で妄想しました。あなたはイタリア人は海賊だと思いますか」

です*1

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1.問題設定

「イタリア人は海賊かもしれない」と思うようになったのは、なにも最近のことではない。ずいぶん前からこの問題は頭にはあった。大変直感にそぐうものだ。

イタリア人と関わったことがある誰もが一度は考えたことがあるだろう。

 

「こいつら、海賊なのでは」

 

という拭ってもぬぐいされぬ疑念。これに対して今回は答えを与えていきたい。

というわけで今回の問題設定はこうだ。

 

「イタリア人は海賊である」という一般化の妥当性を示すこと。

 

2.問題解決のための手順

さて、華麗に問題設定が済んだところで、アプローチ方法を考えなければならない。研究の良し悪しは、問題設定とその分析方法によって9割は決まる。問題設定はすでに済んだ。「イタリア人は海賊である」という一般化の妥当性を示すだけだ。最高の問題設定だ。今考えなければならないのは、問題解決のための手法である。

すぐに分析に移りたいが、念のために、研究というものに縁がない方のために、ここで少し寄り道をしよう。

 

 

 

 

 

 

皆さんが、ふと、

 

「きりたんぽが佐々木希に似ている」

 

と感じたとしよう。

 

 

 

 

 

 

突拍子もないと思われる方もいるかもしれない。しかし、研究をスタートさせるためには常識を疑わなければならない。

 

ニュートン以前は、誰もりんごが地面に落ちることを不思議に思わなかった。しかし彼は地面に落ちるりんごを見て、不思議に思ったのだ。なぜりんごは「落ちる」のか。そう、これが研究のスタート地点。SOW、常識を疑わなければならない。

 

さて、「きりたんぽが佐々木希に似ている」という直感。

 

人は笑うかもしれない。しかし、くじけてはいけない。「きりたんぽ」と「佐々木希」が似ているところを列挙すればいい。

 

きりたんぽは白い、佐々木希も色白、つまり白い

 

きりたんぽの含有水分は50%、佐々木希の含有水分は70%、両者は限りなく近似している...

...

 

とこんな感じだ。

そうすると不思議な事実に気づかされる。

 

きりたんぽは秋田県名物であり、佐々木希も秋田県出身であるという事実に

 

これが研究の醍醐味である。

 

常識を疑い、研究の結果思ってもいなかった共通点が見えてくる。物事の本質を捉えるとはこのことだ

 

わかっていただけただろうか。研究の手法というものを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はちんぷんかんぷんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

話を戻そう。

「イタリア人は海賊か」という問いに答えを与えていくためには、両者の共通点を探ればいい、ということになる。そういう話だった。SAW、きっとそういう話だった(錯乱)

 

3.海が好き

まず、あげたいのが、イタリア人も海賊も「海が好き」ということだ。海賊は海に繰り出すわけだから無類の海好き、ここに疑問を呈する人はいないだろう。数ある先行研究も、きっとそう言ってるに違いない。そしてイタリア人も無類の海好き。夏になれば必ず海に行かなければならない人種だ。

海が嫌いな人などいない。海で泳いで肌を焼いて初めてイタリア人だ。海の近くには別荘が乱立し、夏の真っ盛りともなれば、足の踏場もないほどイタリア人が砂浜に絨毯のように敷き詰められる。これを海好きと言わずに何好きというべきか。

注意して欲しいのは、「泳げるか泳げないか」は関係ない。「泳げない」ことは「海が嫌いである」ことを含意しない。かの国民的海賊漫画も泳げない人ばかりだが、みんな海に繰り出しているわけである。大海賊時代というのはそういうことだ。

 

4.宴好き

イタリア人は「パーティが好き」だ。そして海賊も「宴が好き」だ。「パーティ」と「宴」は同義であると捉えて問題あるまい。海賊は毎晩毎晩宴だ。イタリア人も毎晩毎晩パーティだ。友達の友達は友達。カラビニエーリ*2が注意に来るまで飲めや歌えやの大宴会である。パーティが嫌いなイタリア人はいない。

そしてこれはすでに証明済みである↓

k-lieux.hatenablog.com

 

5.酒好き

そしてイタリア人は酒好きだ。酒が大好きだ。海賊も酒が大好きだ。ワインか、ビールか、そんなものは関係ない。イタリア人も海賊もみんな酒好きだ。「飲まないのに、なんで海賊やってんの」or「飲まないのに、なんでイタリア人やってんの」だ。

そしてこれもすでに証明済み↓

 

k-lieux.hatenablog.com

 

6.音楽が好き

そう、どちらも音楽が大好き。ラテン系のノリノリな音楽が大好き。イタリア人はギターを持って広場に繰り出し、みんなで大きな声で歌を歌う。知り合いかどうかなど関係ない。みんな歌いまくる。声が枯れるまで。海賊もそう。

今年の音楽はコレ↓

www.youtube.com 

 

7.女好き

いわずもがな。

証明済み↓

k-lieux.hatenablog.com

 

8.体毛が濃い

これもいわずもがな。

 

9.まとめ

イタリア人と海賊には5つも共通点がある。「イタリア人は海賊だ」という考えに、にわかには首肯できなかった人間も、ここで「うん、そうだ」と言わざるをえまい。

 

ただし、ここでの議論には若干弱い部分がある。

 

 

「イタリア人は海賊のように略奪行為をするのか」

 

 

という根本的な問いに答えられていない。

 

 

 

イタリア人は略奪行為をするか、という問いに対しては、NOと言わざるを得ない。しかし、この例をもって、イタリア人は海賊ではないと結論づけるのは尚早である。一つの反例のために美しい一般化、ここでは「イタリア人は海賊だ」という一般化を反故にしてはいけない。

 

そこで、本論文では、「イタリア人は海賊のように略奪行為をしない」という反例にこう応えたい。

 

「海賊も全員が略奪行為をしていたわけではない」

 

よく考えて欲しい。海賊にも「見張り役」「コック」「舵とり役」「音楽家」などさまざまな役割が存在している。全員が全員略奪行為に参加していたわけではないのである。彼らは略奪行為を「見ていた」だけ。SOU、「見て楽しんでいた」だけだ。

さあ、かの超有名海賊漫画を思い出して欲しい。イタリア人も大好きだ。この事実はつまり、「イタリア人は略奪行為を楽しんでいる」と捉え直すことができる。

そう、イタリア人も略奪行為を「見て楽しんでいる」のだ。

 

こうして無事反例は、実は一見反例に見えるだけで、真の反例にならないということが示せた。

 

 

 

 

 

 

 

さあ、もう納得せざるを得まい。

 

「イタリア人は海賊である」という一般化の妥当性に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はちんぷんかんぷんだ

 

 

 

 

 

*1:イラストはHさんからのもらいもの

*2:イタリアの警察みたいな治安維持のため組織