タイトルの通りですが、あくまでも個人の感想であり、意見であるということだけを押さえておいていただければ幸いです。
日本ではイタリアのポジティブなイメージが先行しすぎているように思います。その一つ一つは当たらずも遠からずというところももちろんありますが、偏見化したものもいくつかありますから、その扱い方には気をつけなければならないと思います。
今回はその中の一つ、「イタリア人は陽気である」というイメージ及びそれに付随する「いじめ問題」について語りたいと思います。
1.イタリア人は陽気か
「イタリア人は陽気である」というイメージを持っている方、いませんか。このイメージに対して私がYesかNoで答えを与えるのであれば、その答えは、Yesでしょう。いろいろ思い当たることを考えてみましたが、私の知り合った友人は大抵が陽気な(というか正確には人見知りをしない)人間が多かったように思います。
程度差はありますが、個人より集団でいることを好み、悩みを一人で抱えずに相手と共有する傾向にあります。
2.イタリア人は相手とのつながりを大事にする
集団でいることを好みますから、相手とのつながりを大事にします。自分には所属するべきグループがあるということが一つのステータスになっている、ともいえますし、何をするにもグループ単位で動くことが多いですから、友達とのつながりを大事にしているといっていいと思います。
3.グループは徒党と紙一重
ここまではとてもいいことかのように思えますが、グループ単位で行動することはいいことばかりではありません。グループは徒党化する可能性を大いに秘めています。つまり、グループで意識共有、意見共有をすることになるため、「個人にとって嫌なこと」は「グループにとって嫌なこと」になります。
グループに所属するメンバーの一人が誰かと喧嘩したとしましょう。グループはもちろん喧嘩する側の味方になることが多いですから、そちらの立場ばかりを優先して、喧嘩した相手側の言い分を知ることなどできません。するとグループとしてはこうなるわけです。「うちの愛しいメンバーを傷つけたあいつは最低だ」
そしてグループは徒党と化し、時には声高にあることないことを叫び出します。そして喧嘩した相手側はなすすべなく自分の悪い噂が広がるのを指を加えて見ているしかできなくなるわけです。
相手側もグループも徒党化したら大変です。それこそ関係ない人まで巻き込んでの代理戦争です。実際にここまでになることはすくない、というか見たことはありませんが、その萌芽というか、「あ、これ、怪しいゾ」というのは腐る程見てきました。
4.グループ主義は疎外感をうむ
グループでいることは時に疎外感を生みます。グループの全てのメンバーが等しく同じ扱いを受けるということはありません。その中の何人かはのけものにされる(されやすい)こともあります。これは間違いなく疎外感につながります。バカみたいな話ですが、「彼(彼女)はめんどくさいからライン*2グループから外そう」なんていう会話も聞いたことがあります。実際の人間関係がバーチャツルな世界とリンクしてしまうわけです。最近は、SNSの進化によってグループ(の存在)が可視化できてしまいますから、技術の発達はある面では酷な環境を生み出す源になりかねません。
そしてこういう会話を聞いた側は、たとえ関係ない立場であったとしても、そこからは「ライアーゲーム」です。「私は知らないところでのけものにされていないか」とか「私の知らないところで何か楽しいことをしているのではないか」と疑いだしたらもうきりがありません。疎外感は、実際に疎外されていてもされていなくても存在します。
5.イタリアの集団主義と日本の個人主義*3
集団主義と個人主義のどちらが正しいか、という議論はするだけ時間の無駄なのでしません。ここで言いたいのは、そのどちらもが危うい部分をはらんでいるということです。イタリア人は陽気でいつも友達と一緒で楽しそう、というイメージはあながち間違っていませんし、大方の人は優しくとても素敵な人が多いです(少なくとも私の友人の大半は、というちカッコ書きつきですが)。ただし、やっぱり私が見てきた範囲内だけでも、「あ、いまこの人たちは彼(彼女)を疎外しようとしている(疎外している)」という場面を見てきたし、実際に「疎外された・のけものにされた」という声も聞きました。なんでこんな記事を書いているのかというと、私の仲のよかった友人たちが、知らない間に内部分裂していて大変悲しい思いをしたという経緯もあるからです。
6.まとめ
何か一つうまくいかないことがあるとそれが10にも100にも増大して広まることがあります。私個人の話をとってみても、「あることないこと言われている」ということがあって大変悲しい思いをしたことがあります(イタリアでの話です)。大人のいじめは本当に陰湿です。無関心になれない子供な大人たちの口撃その他もろもろは辛辣です。口撃しないで、愚痴までに止めておきたいものです。
上記で書いたことは、何もイタリアだけに限られたことではないと思いますが、なぜイタリアと結びつけて書いたかというと、彼らが、何をするにも特定のグループという単位を好み、それがゆえに危うい部分が表面化しやすいと思うからです。日本は良くも悪くも個人で完結することも多いですから、イタリアよりはそういった問題は少なそうに見えます*4。
イタリア人は陽気だからみんな楽しそうにやっていると思っている方もいらっしゃるかもしれませんが*5、彼らは彼らなりに闇の部分を抱えているということを理解しておく必要もあると思ったので、個人の雑感として残しておきました*6。