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無理に誰かを愛さなくてもいいんじゃない?

私が愛について語ることなど到底できないのですが、イタリア人のTiziano Ferro(ティツィアーノ・フェッロ)が愛をテーマに歌ったTroppo buono(トロッポ・ブオーノ:優しすぎ)がとても深くていい曲だと思ったので全訳と簡単な解説を書きたいと思いました。小学生みたいな書き出しですみません。
 

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私も聖人ではありませんから人並みに人を傷つけ、傷つけられてきました。傷つけられたときはもちろん、傷つけたときも大変に自分を責め、失望し、悲しみ、そして時に虚しさを感じていました。ロマンチックですみません。
 
その中でも私が一番苦しみを感じたのは、愛しているはずなのに、なぜか相手とうまくいかない、なぜか相手に苛立ちを感じる、というときでした。おそらく、理由もよくわからずなんとなくで無理に相手を愛そうとしていたのでしょう。意味不明ですみません。
 
そうした時に、その状況を打破するためにはどこかで一歩を踏み出さなければならないわけです。それのきっかけが自分からだろうと相手からだろうと、どこかでケリをつけなければなりません。なぜなら、無理に誰かを愛することほど無意味で苦痛なことはないからです。小学生みたいな月並みな意見で恐縮です。
 
さて、Tiziano FerroのTroppo buonoはそういう観点から解釈してみると、とても深く、共感できる歌でした。そこで、当記事では2012年に発表されたTroppo Buonoを全訳し、解説(解釈)をしてみたいと思います。
 

歌詞と和訳

 
Troppo buono 
優しすぎ
La metà di una bugia non fa la verità
Quindi nonostante tutto non potrò più amarti
E mi prendevo in giro 
Avevi tutta la vita davanti e lo capivo
嘘の半分は真実にはならない
だから色々あったけど僕はもう君を愛すことはできなくて
僕は混乱してた
君には君の生き方があるって、僕は知ってた 
 
La metà di ciò che penso non l'ho scelto solo io
Perché credere di amarti non sa bastarmi
anche stringendoci 
O parlandone e negandolo
僕が考えることの半分は僕だけが選んだんじゃない
だって、君を愛していると信じているだけでは足りなくて
抱きしめても、
話し合っても、否定しても、足りなくて
 
Ripenserai ancora 
a tutto il bene che
Ti ho dato solo e solamente io 
君は後悔するだろうね
私が、そして私だけがしてあげた
すべてのことを考えて
 
Ripenserai ancora 
a quanto il niente tuo 
Per me fu tutto 
君は後悔するだろうね
君にとってなんでもないことが
僕にとっては全てだったことを考えて
 
E per sempre hai perso un pezzo di me 
E lo sai che son stato troppo buono 
Ma che, stanco ormai, non posso più
君は永遠に僕のかけらを失った
僕がとてもいいやつだったって知ってるだろう?
でも僕はもう疲れたよ、これ以上は無理
 
Tutto quello che ho sbagliato lo so bene anche io
Ma non sono mai arrivato a sentirmi così tanto inutile
E in tempi avversi
Ti salvai la vita tante volte, non ti accorgesti
僕が間違えた全てのことは僕もよく知ってるさ
でもこんなにも無力に感じたことは一度もなかった
うまくいかない時に
僕は君を何度も救ったんだよ、君は気づかなかったね
 
Ripenserai ancora
a tutto il bene che
Ti ho dato solo e solamente io
君は後悔するだろうね
私が、そして私だけがしてあげた
すべてのことを考えて
 
Ripenserai ancora
a quanto il niente tuo
Per me fu tutto
君は後悔するだろうね
君にとってなんでもないことが
僕にとっては全てだったことを考えて
 
E per sempre ho perso un pezzo di me
E lo sai che son stato troppo buono 
Ma che, stanco ormai, non posso più
僕は永遠に僕のかけらを失った
僕がとてもいいやつだったって知ってるだろう?
でも僕はもう疲れたよ、これ以上は無理
  
È vero è complicato odiarti 
Nessuno al mondo può negarlo
Tanto meno oggi io, e
君を憎むのはとっても難しいと知ってる
この世界の誰一人それを否定できないし
ましてや今の僕だってできやしない
 
È vero è complicato amarmi 
Né io né te ci riusciamo 
Io da sempre, tu per niente
僕を愛するのは難しいと知ってる
僕も君もできやしない
僕はずっと、君はこれっぽっちも
 
Ripenserai ancora
a tutto il bene che
Ti ho dato solo e solamente io 
君は後悔するだろうね
君にとってなんでもないことが
僕にとっては全てだったことを考えて
 
Ripenserai ancora
a quanto il niente tuo
Per me fu tutto 
君は後悔するだろうね
君にとってなんでもないことが
僕にとっては全てだったことを考えて
 
E per sempre ho perso un pezzo di me 
E lo sai che son stato troppo buono 
Ma che, stanco ormai, non posso più
僕は永遠に僕のかけらを失った
僕がとてもいいやつだったって知ってるだろう?
でも僕はもう疲れたよ、これ以上は無理
 
 

解説*1

 
Tiziano Ferroの歌は深いようで良くわからないようで深いようでやっぱり意味不明とイタリア人の間でも有名です。そしてそこが魅力の一つとも言われています。実際にこの歌もあんまりロジカルでないところがあって、簡単そうに見えて突き詰めて考えて見ると結構難しいところがあります。私も本当に理解しきれたのかわからないところがありますが、頑張って解釈(解読?)してみたので私の解説(解釈)を書いていきたいと思います。
 

歌の背景ーどんな歌なのかー

 
おそらく、 とても愛していた人と分かり合えず、頑張ったけど疲れてしまって、その疲れに耐えきれずにどうしようもできずに別れを決意する人の話です。語り手は、相手を心から愛しているのですが、相手が自分にあっていないことを自覚しており、その狭間で悩み続けているのです。愛と理解のジレンマということですね。
 
愛は時間とともに形を変え、それがもはや愛かどうかもわからなくなってしまうことってありますよね。ただそれに気づいていてもなかなか次のステップに踏み出せない。愛しているはずなのに分かり合えず、混乱して、ただひたすら自分が一人で悩み続ける。特に長く一緒にいればいるほど、思い出や記憶に引っ張られて、今うまくいっていなくても、なんかうまく理解できなくても、僕は相手を愛しているに違いないから頑張る。そんな人に向けられている気がします。
 
この歌の語り手はそうしたジレンマに悩み、ようやく決意を固めて次の一歩を踏み出すというところにいるのだと思います。歌のサビに「もう無理、疲れた」とあるように、そうとう滅入っている様子が伝わってきます。また、相手が自分を理解してくれないことへの恨み節も炸裂しています。愛と理解のジレンマで苦しみぬいた人の苦渋の決断を歌にした名曲と言えるでしょう
 

フレーズ解釈

それでは具体的なフレーズも見ていきましょう。この歌は最初から最後まで通して、一人の語り手が相手に話しかける、または自分で苦悩するという形で進みます。
 
La metà di una bugia non fa la verità
嘘の半分は真実にはならない
最初はMAJIDE意味不明でした。はじめは、そりゃそうだろ、という印象しかもてませんでした。ただ、聞いてみたところ、どうやらこのフレーズは結構深いらしいのです。実は、これは、解釈するのなら、「半分真実、半分嘘の話はそれは決して真実ではなく、嘘でしかない」という感じになります。ここで問題になっているのは、語り手が愛している人物の発言だと思います。おそらくその相手は、本当のことも言っているけどその半分くらい嘘も言っており、その本人の自覚としては、「本当のことを伝えている」という心構えでいるのでしょう。これを語り手が諌めている感じだと思われます。つまり、「君は本当のことを言っていると思っているだろうけど、そこには嘘も入っていることを僕は知っている。そして一つ言わせてもらうのなら、嘘が混じっている時点で、それは事実ではなく、嘘でしかないんだよ」ということです。例えば、相手があなたのことを「愛している」といったとしましょう。でもそこに一抹の嘘(や不安、迷い)などが入っていたとすればあなたにとってそれはもう嘘でしかないということになります。真実は少しの嘘によって崩れてしまうということですね。気持ちにおける真実とは難しいのです
 
Quindi nonostante tutto non potrò più amarti
E mi prendevo in giro 
Avevi tutta la vita davanti e lo capivo 
だから色々あったけど僕はもう君を愛すことはできなくて
僕は混乱してた
君には君の生き方があるって、僕は知ってた 
もう相手の言うことが真実か真実でないかがわからなくなった語り手は相手を愛すことができないと思っている場面です。"mi prendevo in giro"は直訳すれば「自分自身をからかう」とでもなりますが、ここでは、「混乱していた」くらいになるでしょう。愛されているのか愛されていないのか、もうわからなくて自分で何をしたらいいのかわからなくなっていた、つまりは混乱していた、くらいの意味でしょう。"avevi tutta la vita davanti"は「あなたは全ての人生を前に持っていた」ですが、ここでは「君は君の生き方を貫きとおしていた」「君には君の生き方がある」くらいの意味でしょう。語り手は相手の生き方が自分の理想とするものとは違い、またそれを、相手が語り手の気持を考えること無く貫き通すことに嫌気がさしていたのです。愛する相手の生き方が自分の生き方とは相容れないものであると知ったときの悲しみは底なしでしょう
 
La metà di ciò che penso non l'ho scelto solo io
Perché credere di amarti non sa bastarmi
anche stringendoci 
O parlandone e negandolo
僕が考えることの半分は僕だけが選んだんじゃない
だって、君を愛していると信じているだけでは足りなくて
抱きしめても、
話し合っても、否定しても、足りなくて
 「僕が考えることの半分は僕だけの選択ではない」というも深いですよね。語り手は相手を好いているので、当然のように相手のことを考慮しながらいろいろなことを考えていた、ということになります。
そして、「君を愛していると信じているだけではたりないんだ」とくるわけですね。愛されたいという気持の表れです。抱きしめても、話しても、否定してもたりない、というのも深くていいですね。何をしても相手の反応がうすいということでしょう。相手を否定することで相手の反応を待ってみてもダメだとなると、辛いものがあります
 
Ripenserai ancora 
a tutto il bene che
Ti ho dato solo e solamente io 
君は後悔するだろうね
私が、そして私だけがしてあげた
すべてのことを考えて
そしてここで恨み節炸裂です。
 
Ripenserai ancora 
a quanto il niente tuo 
Per me fu tutto 
君は後悔するだろうね
君にとってなんでもないことが
僕にとっては全てだったことを考えて
ここの"il niente tuo(あなたのなんでもないこと)"には二つの解釈があると思います。単に相手が何も特別なことをしなくても私は良かった、という解釈と、相手は何にもしなかったけどそれでも私は良かった、という解釈です。相手をどれだけ大切に思っていたのかというポジティブな気持と、相手が何もしてくれなかったというネガティブな気持が交錯しています。
 
E per sempre hai perso un pezzo di me 
E lo sai che son stato troppo buono 
Ma che, stanco ormai, non posso più
君は永遠に僕のかけらを失った
僕がとてもいいやつだったって知ってるだろう?
でも僕はもう疲れたよ、これ以上は無理
ここでついに曲のタイトルである"troppo buono(いいやつ)"が出てきます。自分のことを「いいやつ」と言いきってしまえるところが、いかに相手と語り手との関係が対等なものではなかったかを表しています。ちなみにtroppoは「〜すぎる」なので、正確には「いいやつすぎ」と訳すのがいいかもしれません。「いいやつ過ぎる」と言うことで、自分への皮肉も込めているのかもしれません。
 
Tutto quello che ho sbagliato lo so bene anche io
Ma non sono mai arrivato a sentirmi così tanto inutile
E in tempi avversi
Ti salvai la vita tante volte, non ti accorgesti
僕が間違えた全てのことは僕もよく知ってるさ
でもこんなにも無力に感じたことは一度もなかった
うまくいかない時に
僕は君を何度も救ったんだよ、君は気づかなかったね

そうです、語り手は自分の過ちを自覚しているのです。そしてきっとその過ちを何度も正そうと努力をしたということになります。それでも「無力に感じた」というわけですから、相手がその努力を認めてくれなかったか、相手は語り手の過ちばかりを責めていたかなのでしょうね。 

 

È vero è complicato odiarti 
Nessuno al mondo può negarlo
Tanto meno oggi io, e
君を憎むのはとっても難しいと知ってる
この世界の誰一人それを否定できないし
ましてや今の僕だってできやしない
語り手は結局相手への気持がなかなか断ち切れないことを歌っています。
 
È vero è complicato amarmi 
Né io né te ci riusciamo 
Io da sempre, tu per niente
僕を愛するのは難しいと知ってる
僕も君もできやしない
僕はずっと、君はこれっぽっちも
ここは自己嫌悪ターンです。語り手も「自分のことをずっと愛すことができない」と言っているのですね。次の「君はこれっぽっちも」に哀愁が漂います。
 

無理に誰かを愛さなくてもいい

この曲は、愛している人に相手にされず、悲しさ・虚しさ・怒り・虚脱感等々の気持が入りまじった語り手の気持を歌っています。この曲では語り手側から終止符を打つことになるわけですが、ここでの気持は、相手側から終止符を打たれた場合にも有効であると思います。
好きな相手とうまく行かず、相手からコテンパンに言われ振られるという経験をしたことがある人ならよく分かると思いますが、そういう時に考えてしまうのは「あの時、ああすればよかった」「あの時私が間違えてしまった」といった類のことです。そして、こういう時、全てを自分のせいにしてしまいがちです。でも、そもそもうまく行かなかったのであれば、あなた一人のせいではないのです。関係とは二人で築いていくものですから
愛は盲目とは言ったものですが、どうしようもない無力感や虚脱感を相手に対して感じたときは、その人をもう無理に愛する必要はないと思います。相手にとっても、そして何よりも自分にとって不幸なことです。
陳腐な終わり方ですみませんが、以上です。
イタリア語がわかる方もわからない方もぜひtroppo buonoを聞いてみてください。
 
 
 
 
 
 

*1:解説と言うよりは解釈といったほうがいいかもしれませんね