上智大学の東郷公德先生が「英語病」という考え方を提唱しているそうです。以下のサイトにある「「英語病」にご用心」というミニ講義を見て知りました。
これ、「イタリア語」にもまったく当てはまる問題です。「英語病」ならぬ「イタリア語病」ですね。詳しくはぜひミニ講義を見ていただきたいのですが、「英語病」に当てはまる特徴が挙げられてていたので、それだけ引用させてください。
①英語が大好き
②英語以外に得意な科目はない
③大学では英語を専門的に勉強したい
④英語以外に大学で勉強したい分野がない
⑤将来は英語を使って仕事をしたい
⑥英語の民間試験の点数が気になる
⑦本も新聞もほとんど読まない
⑧社会問題、政治問題、「教養」に関心がない
このうちの3つ以上に当てはまるようでしたら、「英語病」らしいです。「英語」を「イタリア語」に置きかえればそのまま「イタリア語病」になりますね。
上智大学のサイトなので、新しく入学した学生を主な対象としたミニ講義であって、「大学」なんていう言葉もありますが、要は、勉学の対象が「英語」のみであり、そしてモチベーションが「英語を勉強すること」そのものの人は気をつけてね、ということですね。
一点気をつけなければならないのは、「英語」が好きで勉強するということを否定しているわけではなく、英語を使って将来仕事をしたいと考えている人は気をつけて、というお話につながっているということです。「英語以外の自分のウリを作りなさい」とも述べられていますので、人間にとって大事なのは語学力だけではないということですね。
さて、私もそれなりにイタリア語が好きで、かなりの時間をイタリア語の勉強に割いてきたクチですが、このミニ講義を見て考えさせられることがありました。今思うと、かつての私は「イタリア語病」にかかっていたのではないかと思います。さきほどの基準で言えば、少なくとも、
①イタリア語が大好き
②イタリア語以外に得意な科目はない
⑤将来はイタリア語を使って仕事をしたい
⑥イタリア語の民間試験の点数が気になる
⑧社会問題、政治問題、「教養」に関心がない
の5つくらいには当てはまっていたのではないかと思います。
こうした病の一番の問題点は、言語を学ぶことだけが独り歩きして、社会とのつながりを見失い迷子になってしまうことだと思います。それを学んで何をしたいのか、それを学ぶことで自分が社会にどう貢献できるかというビジョンなしに、漠然と「〜語を使って生きていく」と考えていても社会からは取り残されてしまいます。ある特定の語を使うことだけが目標となってしまうのは大変危険です。私の場合も、一時期イタリア語にのめり込むあまりそれ以外のことにほとんど手をつけず、手をつけないがゆえにイタリア語以外のことがわからなくなり、ますますイタリア語に没頭するという悪循環にハマっていたことがありました。
唯一の救いは、大学がイタリア語専攻でなかったことでしょうか。イタリア語などむしろ全然関係ない学問の専攻だったので、イタリア語ばかりやっていても卒業できないという状況にあったのは良かったと思います。
とは言ってきましたが、イタリア語自体を愛し、それをどんどん勉強すること自体は決して悪いことではありません。イタリア語は英語とは異なって仕事の需要はほとんどありませんから、むしろそういう純粋な「言語への興味」「言語への好きという気持ち」から始まっていいと思います。
そもそも語学をやることは就職を前提とするものでもありませんし。ただ、それをこじらせてイアリア語だけに没頭してそれ以外の全てから興味を失うということだけはないように気をつけたいところです。
もし皆さんの中に「イタリア語病」の気がある人がいたら、ぜひとも気をつけてほしいと思います。正直、私にとっても他人事ではなかったです。
なんか講釈をたれたみたいになってしまいましたが、当時の自分を思い出してしまっただけなんです。ですので私が今一番説教したいのは当時の自分です。おい!自分!いい加減にしろ!