英語学習で、最近(に限らず)よく言われることに、「こんな表現はネイティブは使わない」ということがあります
例えば
How are you?(調子どう)
と聞かれて、
I'm fine, thank you. And you?(いいね、ありがとう。あなたは)
と返す人はいない、のようなものが典型的だと思います
「ネイティブは使わない」から「英語学習者は使わないほうがいい」とはなりませんし、英語ほどグローバルスタンダードになった言語でネイティブと言われても、ネイティブの基準がどこなのかわかりません。英語は地域によってかなり差があるわけですし
そもそも、「ネイティブ」が神格化されるのもおかしいです
つまるところ、ネイティブが常に正しいとは限らないということです
さて、私は別に英語教育について意見したいのではなく、「ネイティブは使わないよ!」みたいなネイティブ基準の判断にするのは大変危険だと思う、ということがまずは言いたいのです
また、これと関連してですが、「アメリカでは〇〇」とか、そういう主語が大きい話も気をつけた方がいいと思います
私は英語圏のことについてよく知っているわけではありませんので、「アメリカではこうだよ!」とか「ネイティブはそんな英語使わないよ!」とかそういうことに対して、「それは間違っているよ!」なんてことは言いませんし言えません
ただ、そういうのを見て、他山の石として、自分の振る舞いをもう一度考えてみたいと思いました
私はかつてイタリアに留学しました
ですので、平均よりはイタリアのことを知っていると思っています
周りの人にイタリアについて聞かれたら、私の知っている(ごくごく限られた)範囲で語ることもあります
イタリアに行ったことがある人もない人も、住んだことがある人もない人も、ある程度「イタリア」に対して固定化されたイメージを持っていることがあると思います
それ自体がいいとか悪いとかということはありません。人間かならず周りの人物・出来事をカテゴライズするようにできていますから。これはこうで、あれはこう、と分類できるようになることが(誤解を恐れずに言うと)学習です
ただ、自戒の念を込めて言いたいのは、「イタリアは〇〇」や「イタリア人は〇〇」のような、主語が大きすぎる表現には気をつけた方がよいということです
というのも、私はイタリア人について知っているわけではなく、身の回り半径5メートルにいたイタリアという国で育った人について知っている、にしか過ぎないからです。それも全てを知っているわけではなく、ほんの少しのことだけを知っているだけ、です
突然ですが、私がよく経験するイタリア関連の質問についてこの場をお借りしてお答えします
Q.イタリア語はペラペラですか?
A.わかりません。ペラペラの定義を教えて下さい。
Q.イタリア人男性はすぐ女性に声をかけるってホント?
A.人によります。
Q.イタリア人っていつもワイン飲んでるの?
A.人によります。
Q.イタリア人って社交的な人が多いの?
A.人によります。
Q.イタリアって軽犯罪が多いの?
A.場所によります。
決意表明:イタリアっていいですよね〜。一度行ってみたいです!
同調:ええ、行ってください。
こういうことを言うと、筆者はなんて無愛想で理屈で凝り固まったあんぽんたんなのかしら、と思われる方もいるかと思いますが、実際にはこうやって答えたりはせずに、
人によりますね〜。まあ、僕の周りにいた人はそうでした(そうではなかったです)よ〜
なんて答えることが多いです。特にワインに関する質問は(私が受ける質問の中で)圧倒的に多いですね。
あ、私があんぽんたんなのは事実です
あと、イタリア人と遭遇した際に、彼ら(彼女ら)は陽気だからと思ってテンションを上げまくるパーリーピーポーもたまにいらっしゃいますが、これも人によって受け取り方はさまざまです
テンションが高く明るい人が好きだというイタリア人ももちろんたくさんいますが、そうでないイタリア人もたくさんいます
要はかなりの部分個人の嗜好によるということです
私の日本人の友人に、とても明るく元気いっぱいで、まあちょっとパーリーピーポー的なところがある人がいるんですが*1、人によって受ける受けないがあります
確かに、多くのイタリア人が、「あいつ明るくて話しやすくていいよね!」と言っていましたが、一方で、少なくないイタリア人が、「ああいうのがイタリア人が好きだと勘違いしているのかしら。落ち着きがなくて話しにくい」という人もいました。
つまり、人による、ということです
以上の事柄に関しては、かなりの程度幅があるのはある程度予想がつくことだと思いますが、イタリア語に関してもそういう「幅」があります
まあ、根幹の文法とか基本的な表現については「イタリア語は〇〇」といってもほとんど問題はないのですが、細かいところになってくると、果たしてそれが唯一の事実だろうか、という事態が出てきます
有名な話は、イタリアの南の方のuscire(ウッシーレ:出る)という動詞の使い方です
uscire(出る)は自動詞なので、(共通イタリア語では)目的語をとることができません
しかし、南の方では、これをuscire la carne(ウッシーレ ラ カルネ:肉を「出る」)のように、「出す」の代わりに使う、すなわち他動詞として使うことがよくあります
本来はtirare fuori(ティラーレ フオーリ:外に引き出す)のような表現を使うべきなのですが、tirare fuoriというよりuscireと言ったほうが短くて早いので、そういう使い方が広まっているのかもしれません
この話はとても有名で、言語学の入門書の序章で取り上げられたりします。そこではusicreの自動詞・他動詞用法のどちらが正しいかということは(当たり前ですが)言っておらず、言語というのは場所(時間)によって異なりうるということの例として挙げられています*2
この話をイタリア人の友人にしたら、北出身の人が「やっぱり南の人は文法を知らん」などと物騒なことを言い出して、それに反応した南出身の人と言い合いになるという事態に出くわしてしまいました
要は、ネイティブが思っている「文法」というのも異なりうるということです
他にも、語彙の問題があります
場所(もしくは人)によって、同じものを指していながら使う語彙が異なる場合があるということです*3
私は、携帯電話のことをcellulare(チェッルラーレ)と言います
するとある日、ある友人から、「イタリア語では携帯はcellulareとは言わない、telefono(テレーフォノ)と言え」と言われました。しかも結構な剣幕で言われました
cellulareと言い続ける私に嫌気がさしていたようです
しかし、別のイタリア人はcellulareと言っているので、おそらく場所の違い(か環境の違い)なんだと思います
繰り返しになりますが、ネイティブが唯一絶対に正しいということはないのです
最初の話に戻りますが、英語で、"I'm fine, thank you!"と答えるネイティブはいないなんて言われることがありますが、だからやめろということにはなりません
ネイティブにそういうことを言われたらからといって、"I'm fine, thank you!"といったら恥ずかしいとはなりません
日本語の「さようなら」も、一般的な場面で使うことは少ないですが、「そんなのは日本語ネイティブは使わないよ」、とはならないのではないでしょうか
こうしてうだうだ言うのも、私も「イタリア」に関するブログを書く一人として気をつけたいな、と思ったからです
なんだか振り返ってみると、「イタリアは〜」「イタリア人は〜」みたいなことをいっぱい書いてしまっているような気がするのですが、なるべく過剰一般化はしないように気をつけているつもりです(あと、あんまりシリアスに書かない(書けない)のは、要は上で言ってきたような「あまり主語を大きくして、変な情報を流したくない」という思いがあるからなんですね)
というわけで、「イタリア」に関するブログなのになに言ってんだという感じのタイトルですが、正確に表現すれば
「イタリア」という大きな主語では語れることなど私にはない
といったとこでしょうか
とはいっても、個人個人で異なるから!みたいなことを言い出したら際限がないわけで、やはりどこかで大きくは括れることというのがあるはずです。ですから、それについては、誹謗中傷にならないように気をつけながら書いて情報提供していくことは間違いではないと思います
「ネイティブはこうだから、〜するな」、「〇〇ではこうだから〜しろ!」などといった、過剰な一般化で相手に何かを押し付けたり、マウントをとったりすることに対する違和感は、書く側ももちろん、読む側も持ち続けていたいものですね