私は、滑舌が悪いです。けっこうハチャメチャに悪いです。何かを発言するたびにかみます。かみまくります。
特に緊張すると、口が思考を置いてきぼりにして、ひたすらに文節ごとにかみまくるという大道芸も持っています。
母語である日本語ですらこんなにかんでしまうのですから、イタリア語になるともはや、言語の原形を留めないくらいかみまくります。
イタリア語をかみまくってると、私の友人は、「落ち着け、慌てることはない。どうした、一大ニュースか?」と心配してくれます。おお...ありがたきお言葉...
でも、違うのです。一大ニュースでもなんでもないのです。ただ、ひたすら、ただひたすらにかんでいるだけなのです。おお...もう...この辱め...
なので、私は、かんでしまったときに、「かんじゃった」と一言言えるようにしたいと思いました。
「かむ」というのは、おそらく「舌をかむ」という慣用句からきています。ですから、このような慣用句が(たぶん)ないイタリア語で、同じように表現しても相手には伝わりません。
それでは、イタリア語で「かんだ」はどのように言うのでしょうか。もうはるか昔の話ではありますが、イタリアの友人に聞いてみたところ、イタリア語では、以下のような表現を使うそうです。
impappinarsi
インパッピナルスィ
「口ごもる/しどろもどろになる」
→かんじゃう
そうです、インパッピナルスィ。ですから「かんじゃった」は過去の形(近過去)にして、
mi sono impappinato
ミ ソーノ インパッピナート
「かんじゃった」
とします。
インパッピナルスィ。
このフレーズさえ覚えておけば私は無敵、とあいなるわけです。対面会話においての完全勝利は目前です。
インパッピナルスィ。
しかしどうにもこのフレーズは、「かんじゃった」と言うには言いにくすぎやしませんか。
「あ、ごめんごめん、ミソーノインパッピナート!」
言いにくい。
「かんじゃった」というのに「かんじゃいそう」とは、これいかに。
つまりこうだ。
「あ、ごめんごめん、ミソーノイッピエ...!」
「かんじゃった」をかむ。
こうなると、次はこうだ。
「あ、ごめんごめん、ミソーノインパッピナートをミソーノインア@ピェ!」
「「かんじゃった」というのをかんじゃった」をかむ。
最高だ。ただひとこと、かんじゃったと言いたいだけなのに、一人で泥沼にハマっていく。
「かんじゃったをかんじゃったをかんじゃったをかんじゃに∞(以下無限∞)」
しかも、フレーズが長くなるたびに、一つ一つの「かんじゃった」に注意を払わなければならなくなる。最後に行き着くまでにどっかでかむ自信がある。
というか、そもそも
ミソーノインパッピナートが「かんじゃった」というには長すぎやしませんか。
もう、私は黙るしかないのでしょうか。
あーん(><)