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シルビオ・ベルルスコーニの思い出

シルビオ・ベルルスコーニが亡くなった。86歳、闘病中だったそうだ。ご冥福をお祈りする。

 

存命中は、スキャンダルだらけでいろいろ揉めていたし、イタリア国民は思うところが色々あるだろうが、私にはその政治的手腕についてあれやこれや言う頭がない。でも、ベルルスコーニについては、私なりの思い出がなくはないので、それについて書いておきたい。

 

シルビオに直接的にお世話になったことはない。ただ、間接的にお世話になったと言ってもいいかもしれない出来事はある。10年くらい前に、シルビオがローマで開催した政治集会に参加させてもらったことである。

 

当時カターニアに住んでいたのだが、その集会に参加するためにローマまで行くという0泊2日の弾丸ツアーに参加したことがある。要は体のいいサクラである。カターニアからローマまでバス移動、費用はシルビオ持ちである。シルビオ、太っ腹。

 

シルビオの政治思想に共感をしたということは何らなく、それでもシルビオという人間に何らかの親近感を感じたということも特になく、とはいえ、やはり有名人をこの目で一目見てみたいという気持ちもそれほどなかった。とにかくローマにタダで行きたいという気持ちで参加した。このような機会をくれたシルビオに心から感謝したい。

 

ローマまでのバス内は、行儀のなっていない若者集団がひと晩中騒ぎ続けるという最高の動物園で、ろくに休むこともできなかった。それでも無事ローマに行ってカターニアに帰ってこられたのだから、その点についてはやはりシルビオに感謝したい。

 

ローマに滞在できる時間は確か10時間ほどで、研究集会が始まるまでの時間は自由時間ということだった。色々見て回ったけど歩きすぎて疲れ果てていて、何を見たのかほとんど覚えていない。唯一覚えているのは、何らかの美術館のカラヴァッジョの展覧会を見たという事実のみである。

 

私は芸術に一切興味がなかったのだが、カラヴァッジョの絵はそんな素人の心にも響くものがあり、それをきっかけに美術の素晴らしさに目覚めたということは特になく、大学ではその後進路を変えて芸術についての研究に勤しんだということもない。そんな素晴らしい機会をくれたシルビオには、心から感謝したい。

 

シルビオの集会にももちろん足を運んだ。足を運んだが、人が多すぎて、肝心のシルビオを生で見ることは叶わなかった。しかし、その時の人々の熱気、会場の高揚感、ローマ全体が震えるようなバイブス...10年以上経った今でもあたかもその場にいるような気持ちになるということは特にないけど、なんかそんなことがあったなぁと思い起こすこともあまりない。あのときの雰囲気を味あわせてくれたシルビオにはウルトラ感謝したい。ウルトラサンクス。

 

その時の思い出の一つが、シルビオの歌である。みなさんはご存知だろうか。シルビオ・ベルルスコーニの歌がこの世には存在するのである。

 

www.musixmatch.com

 

タイトルは、Meno Male Che Silvio c'è。「シルビオがいてよかった」である。どストライクなタイトル、そしてこのタイトルが、70年代風の音楽とともにそのままサビを駆け抜けるという最高にロックでパンクな歌である。こんな素晴らしい歌があるということに気付かされてくれたシルビオに、感謝してもしきれないとは言い難い。グラッツェ。

 

せっかくなので歌の翻訳をしてみようかと思ったが、どのサイトもことごとくコピペができない仕様となっており、私の中にあったとも言い難い熱い翻訳への気持ちがどこか遠く彼方へと行ってしまったので、気になった各位は、各自でリンク先に飛んでいただきたい。人生の一曲とまではいかないまでも、心に残るフレーズがないとも言える、最高の一曲である。この曲に出会えたことに感謝。ウルトラグラッツェ。

 

ということで、シルビオ・ベルルスコーニの思い出といえば、これくらいのことしかないのだが、やはり現代イタリア史において重要な人物であることは間違いなく、さすがの私も「亡くなった」と聞いた時には驚いた。改めてご冥福をお祈り致します。