ITAMINKIA

イタミンキアです。おうまさんが運営する実用イタリア語検定試験完全非対応のイタリアブログです。

イタリアを次第に嫌いになっていく理由

私はイタリアが好きなのだが、最近イタリアに行くたびに嫌いになりそうなことがぼちぼち出てきて正直嫌になる。

 

今年の夏にイタリアに行った時の話だが、たったの2週間で正直うんざりする出来事に二回も出くわしてしまった。

 

一つは、妻の弟が運転する車に乗っていた時のことだ。高速道路の出口付近に行列ができていたのだが、我々は間違えてTelepass(日本のETC)専用の列に並んでしまった。それに気づいて慌てて手払いの料金所用のレーンに戻ろうとするも、元々並んでいた人たちは一向に譲らない

 

そうこうしているうちにTelepassレーンの後ろからやってくる人たちにクラクションを鳴らされまくり、しまいには汚い言葉を使って大声で罵られる始末であった。いちいち向こうが運転席から窓を開けて、嫌味たっぷりなジェスチャーとともに汚い言葉をこちらに投げかけていくという光景には正直うんざりした。

 

嫌なことは包み隠さないで直截的に伝えるというのは、ある一面ではいいことなのかもしれないが、上の状況は誰も責められない場面であると思うので、そういう場面において相手を怒鳴りつけるという手段を「選ばない」という我慢強さを持ち合わせていない人々がいるということに非常にがっかりした。

 

もう一つは、空港での出来事である。もともと、私は空港で働いている職員らに、仕事に対する熱意というものを感じなかったし、それはそれで別に気にしていなかったのでよいのだが、あちらのミスをこちらのせいにされたときは正直イラッとした。

 

どうでもいいよくあるミスで、向こうが預け入れ荷物にタグをつけ忘れて飛行場に送ってしまったというそれだけのことである。そして、ここまでは私も「もう一度タグをつけ直してくれしてくれればそれでいい」としか思わない。

 

しかし、こちらが「タグを付けてなかったので、何らかの方法でつけてほしい」と訴えたときに、「あなた達が私の気をそらしたのが悪い」と言い返されるとは思いもよらなかった。なぜあなたのミスをこちらのせいにするのだ。なぜ。

 

イタリアのいいところの一つは、仕事を堅苦しくやらないところで、余計なサービスはあまりせずに適当にリラックスしながらやるところだと思うし、それは本当にいいところだと偽り無く思う。でも、ミスをしたらミスを認めて対応してほしい。それくらい当たり前のことだと思ってやってほしい

 

 

こうしたことはよくあることであり、また、これをイタリア人、ひいてはイタリア一般に当てはめてしまうのは過剰な一般化である。当然ほとんどのイタリア人がそのような態度ではないことは重々承知している。そしてそれが、イタリアに限らず日本でも十分起こりうることは重々承知している。

 

しかしながら、そういう腹立たしい出来事があったというのは事実であり、そういう出来事が無くて済むなら無いに越したことは無い。

最近、イタリアに行くたびに私の中でのイタリア愛がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく感覚がある。しかし一方で素晴らしい人々の顔や行為も脳裏に浮かぶ。私の中で、イタリアが「ムカつくんだけど可愛げがあって別れられない人」になりつつある。

 

次にイタリアに行くときは、怒鳴られたら怒鳴り返してやろうと思うし、相手のミスをこちらのせいにされたら淡々とロジカルに言い返してやろうと思う

 

別にこの記事に結論めいたことは無いのだけれども、あえてオチをつけるなら、細けえことは気にしないで


たくましく生きなさい、ということでしょうかね。頑張ります。