なんかあまりにもくだらないことを、私の竹馬の友のFくんが真剣な顔をして熱く語ってきた。いや、顔が縦に細長いのでどちらかというと竹友の馬のFくんといった方がいいかもしれない。ちくゆうのうま🐴
彼は私が留学中にイタリアで仲良くなったちくゆうのうま🐴
さて、彼がした話をまとめておこうと思う。
彼は「イタリアにおける合コンに関する理論的分析」などとけったいなタイトルを自分の話につけていたが、まあ、要するに「イタリアには合コンがない」ということを熱く語っていただけ。
昨今日本は、空前の「〜活ブーム」っす。「就活」ももちろんっすけど、人生を快く終えるための「終活」、腸の動きを活発にするための「腸活」、お尻が引き締まっている「プリケツ」*1...なんにでも「活(動)」をつけて活動したがっているんですよね🐴
とはじめたFくん。なるほど、そうかもしれない。
日本国民はもはや、活発に動き回るモンスターなんです!そして、その中でも特に、婚活!これについて語りたいんす🐴
ほうほう、なるほど。確かに。その通りだ。「婚活」なんてよく聞くね。 電車広告でもよく見るね。そういうアプリもたくさんあるよね。
そう、そうなんすよ。その、婚活 ―すなわち、男女が会合を開催し将来の伴侶を探す活動―が盛んに行われているんす。ところで、我が国では、将来の伴侶を見出すために、「合コン」という手法が古来より用いられてきたんですよ。でも、この「合コン」という手法はイタリアには存在しないんす🐴
とか言ってたのだが、つまるところ、彼は顔が縦に長い、それに尽きる。
イタリアに「合コン」が存在しない理由を多面的見方より考察し、日本とイタリアの男女交遊における差を明らかにしたいんす🐴
とも言っていたが、どう見ても顔が縦に長い。
こういう研究ってあまりないと思うんすけど、主に友人同士の交友関係という観点からぶn...🐴
やっぱり顔が長い。
正直彼の分析をあまり覚えていないのだが、うろ覚えながらも頑張って思い出しながらふわっと彼の分析を書いておく
1.友達の友達という関係の捉え方
イタリア人にとって、友達の友達は私の友達。何かの集まりがあると、みんなが思い思いに自らの友達を連れてくる。そこには大勢の人が集まり、知り合いか知り合いじゃないかにかかわらず親交を深める。国民総パーリーピーポー。そんな彼らのよく使う表現がこちら。
Più siamo, meglio è.
ピュ スィーアモ メッリョ エ
「いっぱいいればいるほど楽しいじゃーん」
日本人は、友達の友達との関係性を築くには時間がかかるために、友達同士の集まりで、相手の友達を連れて行くのは基本的に避ける。つまり、イタリアと日本では「友達の友達」の捉え方が異なる。
2.「場」の重要性
日本人は、「婚活パーティ」や「合コン」という特殊な「場」があって初めて「知らない人と交友を深める」という姿勢になる。一方のイタリア人は、友達の友達は私の友達なので、「場」など必要ないようだ。
日本は"tutti parlano con i loro amici(みんなそれぞれの友達と話す"のに対し、イタリアは"tutti parlano con tutti(みんなみんなと話す)"ということだ。
つまり、イタリア人はただのなんでもない集まりでもアプローチをかけることができるのに対し、日本ではアプローチのために特殊な「場」を必要とする、ということである。
というわけでイタリアには合コンがないみたいなんすよ〜🐴
とまあ、個人差が大変大きいところではあると思うが、まあだいたいこんな感じのことを話していた。
他にもいろいろ言っていた気がするが、全く思い出せない。
ただ一つだけはっきりと覚えていることがある。
真面目に話している最中も彼はやっぱり顔が長かったということだ*2。