外国語を勉強している人が抱く夢の1つに、通訳をすることが挙げられると思います。通訳は誰が見てもかっこいいのです。
例えば、海外の友人と日本の友人が顔合わせした際に、自分がその間に入ってコミュニケーションを円滑にするとか、海外のビジネス相手と会社の上司の間に入って商談をまとめるなど、せっかく学んだ外国語をどこかで活かしたいと思う方も多いのではないでしょうか。なんでかというと、かっこいいからです。
私のイタリア語なんて大したものではないのですが、こんな私にも二回ほどイタリア語の通訳をする機会がありました。どちらも美術関連のイベントでした。
そして、自分の通訳のできなさに唖然とし、極上のクソ通訳を皆様にお届けしました。
その原因は語学的能力だけでなく、以下の語学以外の要因が大きなウエイトを占めていました。
1.マルチタスク人間ではない
通訳をするには、いわば右からある言語を聞いてそれを別言語に置きかえて左から流すように伝えることですから、当然複数作業を同時にこなす必要があります。
私はどうにもこれが苦手です。どうやら一つのことをしているときは一つのことにしか集中できない人間で、聞いていると集中して聞き入ってしまうし、話しているときは何も頭に入ってきません。あっちみてこっちみてができないタイプなようです。
ですので、一回聞いてそれを伝えて、それからまた聞いて伝えて、であればそこそこできましたが、誰かの演説なんかを聞きながら口からどんどん別言語を出すなんていうことは全くといっていいほどできませんでした。外国語ばかりか、母語の日本語でもできません。
2.情報の取捨選択をしてしまう
これは本当に悪い癖だと思うのですが、相手が話している情報を「必要なもの」と「不必要なもの」に分けてしまいます。要するに、間に入っている通訳なのに、「あ、これ要る情報」「あ、要らない情報」などと無意識に選別をしてしまい、「要る情報」だけを訳すという、通訳にはあるまじきことをしてしまうわけです。
通訳を受けている相手は当然話されている言語が全くわからないわけですから、言われたことを言われたままに、最初から最後まできちんと伝えることができなければなりません。私にはそれはできませんでした。
3.集中力が続かない
通訳に限らず大問題な気がするのですが、どうにも集中力が持ちません。一日ずっと通訳として帯同していると、気づくとぼうっとして通訳であることを忘れてしまう瞬間が何回もありました。
「ちょっと通訳してよ」と言われて意識的に間に入るのであればいいのですが、なんかのセレモニーの挨拶とか「普段から聞いてもいない演説」なんかが始まると、私の頭はスイッチオフです。たとえ通訳であろうとも、です。最低です。
4.口と体が連動して動いてしまう
通訳たるもの常に脇役でなければなりません。その通訳が、話しながら身振り手振りでガツガツと横で通訳をしてはいけません。これは火を見るより明らかです。
なのに私ときたら、動かす動かす、体操教室かというくらい口に合わせて体が動く動く。つまり見苦しい姿を晒すわけです。これは頑張ればなんとか矯正できる気もしますが、今でも変わらず連動するので(というか日本語を話すときも連動するので)、やはり無理だと思います。
5.自分の解釈できたことしか言葉にできない
まあこれはある意味「理解する」ということの本質だとも思うのですが、それはおいておくにしても、とにかく私は意味不明なことを通訳することができません。たとえ簡単なことであってもです。
「コーヒーを飲みたいんだけど、玉ねぎソースはどこかしら」と言われた瞬間、私はフリーズします。そのまま通訳して、通訳を受けている相手に「どういう意味ですか」と言わせればいいものを、私はただただ動かなくなるだけです。
6.わからない言葉や表現が出てくると慌てふためく
これも本当に自分が情けなくなるのですが、本当に慌てます。慌てまくります。目が泳ぎます。体も震えます。通訳は「堂々と」しているのが大切です。相手に「あ、こいつイタリア語できないぞ」となめられたらおしまいです。何があろうと、いい意味でずうずうしくある必要があるわけです。
あるイタリア語の通訳の方を横から見ていたとき、「これは桐の箱なんですよ」なんていうフレーズを「これはとても高級な箱なんですよ」としれっといいかえてました。私だったら「桐」のところで絶対に固まります。
7.無知
はい、もうこれに尽きます。無知です。通訳を買って出る前は気張って美術用語なんかも勉強しましたが、 付け焼き刃でした。「通訳とは語学力のみならず知識が必要だ。むしろ知識のほうが大事だ」と通訳のプロに聞かされたことがあります。通訳には幅広い教養が必要なわけですね。いや、なんどか見たことがありますが、プロの通訳者は知識も語彙力もなにもかもが桁違いのレベルでした。
8.短期記憶がなさすぎる
言われたことを一瞬で忘れます。3秒もちません。通訳している間に、「あれ、何のことだっけ」となります。
9.自分の解釈を入れてしまう
なんかもうさきほどから言ってることとほぼほぼ重なるところもあるのですが、とにかく「言われたことをそのまま伝える」ということができません。聞いたことを自分の中で噛み砕いてからでないと通訳することができないのです。要は、語学力がないから限られた語彙や表現に落とし込むためには解釈を入れないとだめということなんだと思います。圧倒的語彙力・表現力があれば、ある程度はゴリ押しでガンガン翻訳できると思いますし。
まあ、何かを訳すときには必ず背景知識、文脈などさまざまな情報から的確な訳を探さなければならないわけで、その意味では、プロも必ず自身の解釈を入れているはずなんですが、その解釈は必要最低限にとどめているのではないかと思います。
以上が私が通訳に向いていないと感じた理由なのですが、逆に言えば、語学力はちょっと自信ないけど上記の事柄に対応できる能力があると感じる方であれば、私などよりずっと通訳に向いているのではないかと思います。
なぜそんなにもダメダメなのに通訳を受けたんだというお叱りの声が聞こえてきます。
ええ、正直反省しています。が、一応付け加えておくと、私が受けた通訳の仕事というのも、まあ、ご厚意半分と、プロには頼めないという懐事情半分、という感じでもらった仕事でしたので、相手方もある程度は了承していたのではないかと(勝手に)思っています。イタリア語通訳の仕事って多くはそういうのが多いかと思います。
イヤダイヤダ、あたしにはむいてない、もう二度とやりたくない(というかできない)という感じのお話になってしまいましたが、通訳自体は楽しかったです。なにせ、私が普通に生きているだけではできない繋がりができたり、一般庶民の私にはできない経験ができたりしましたので。
ああだこうだと述べてきましたが、結論を一言で述べると、通訳は本当にすごい、ということです。尊敬します。