おとといインターネットのニュースサイトをのほほんとみていたら、以下のような記事がありました。
駒崎弘樹氏という方が書かれたこの記事では、土俵の上にフェラーリが乗ったという話が紹介されています*1。
あのフェラーリが神聖な土俵に上がったワケ | オリジナル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
そして今日、のほほんとテレビを見てたら、とくダネ!でも土俵の女人禁制の話をしてました。そこでもちらっとフェラーリの話が出ていました。
今回の話で興味を引いたのは、土俵に女性は上がってはいけないが、フェラーリは上がったことがある、ということ。
でもフェラーリは車で、イタリア語では車は女性名詞だという指摘です。
つまり、ここで彼らが何が言いたいのかというと、土俵に女性は上がってはいけないのに、車(女性名詞)は上がってもいいのか、ということです*2
以下は上記の駒崎氏のブログからの引用です。
しかも、フェラーリはイタリア企業ですが、イタリア語で車( la macchina )は女性名詞だそうw
相撲協会、全然整合性取れてないじゃん。
こういった話をする彼らは、言語的な性と生物的な性は同じものであるということを前提にしていると思われます。
さて、影響力のあるメディアがイタリア語の名詞の性別を持ち出して土俵の女人禁制と結びつけて話をしていたので、それは間違っているということだけ言っておきたいと思います。
まず、イタリア語の名詞の性の話ですが、確かに、日本語とは異なって、イタリア語はコトバなのに男性女性といった性別の区別を持っています。
例えば時計(オロロッジョ)は男性名詞、車(マッキナ)は女性名詞、というようにです。
しかし、明らかに言語の性は実際の性と違いますよね。時計とか車はモノなわけですし。
で、さらに、相撲の女人禁制にイタリア語を持ち出す場合、当然、イタリア語と相撲が関係している、という前提があります。
うーん、この二つは関係ないでしょ。
百歩譲って、イタリア語と相撲が関係あるとして、果たして、相撲協会はイタリア語における女性名詞を土俵にあげないという努力をしているのでしょうか。
イタリア語の女性名詞は何も車だけではありません。例を一つ挙げるだけでは主張の根拠とするには弱いです。車に関してはなんらかの理由により例外であった、という可能性もありますからね。
私としては、他にも土俵に上がる事物を調べ上げて、本当に相撲協会がイタリア語の女性名詞に気を使っているのかを調べて欲しかったですね。
たとえば、「塩」。これはイタリア語では「サーレ」で、男性名詞です。そして、ふんどしは「ペリゾーマ ジャッポネーゼ」、まあ日本語に訳すと「日本式Tバック」なのですが、これも男性名詞です。ここまでは、ああ、確かに男性名詞しか土俵には上がっていない!と言えるのかもしれません。
ただ、こうやってひとつひとつ調べていくといろいろ問題がでてきます。
たとえば、「懸賞旗」。「旗」はイタリア語で「バンディエーラ」で、女性名詞です。それから「足袋」。まあ要は「靴下」ですが、イタリア語では「カルツェ」で、こちらも女性名詞です。「優勝杯」だって「コッパ」とかいって女性名詞です。土俵に上がっている女性名詞は何も車だけではないのです。
もっというのであれば、そもそも、相撲取りや行司という「人」は「ペルソーナ」で女性名詞です。土俵の上にはもはやヒトすら上がれないというのでしょうか。
相撲に関わる概念用語でも女性名詞など山のようにあります。そもそも「相撲」は、伊和中辞典(第2版)では、「ロッタ エ スポルト ナツィオナーレ」となっており、女性名詞です。「勝利」という概念は「ヴィットーリア」でこちらも女性名詞ですから、もはや、女性名詞うんぬんということを言い出したら相撲などとれません。土俵では勝利も禁じられているばかりか、ヒトも上がれないし、そもそも土俵でとる相撲自体が女性名詞です。
こう考えると、当たり前ですが、相撲協会はイタリア語の女性名詞など気にとめていません。
少し考えれば、イタリア語と相撲は一切関係ないとわかると思うのですが、批判できればなんでもいいのでしょうかね。
少なくとも、イタリア語で車が女性名詞であるという事実だけでは、相撲協会が旧態依然でありかつ整合性が取れていない、ということはできません。
と、ここまで書いて言うのも申し訳ないのですが、まあ、イタリア語を使ったちょっとした遊び心的な話題だっだのだと思います。だから私も別に何か文句をつけているというわけではなくて、イタリア語で冗談をかますには少しワキがあまいよぉ、と言いたいだけなのです。そもそもこのブログ自体がほぼギャグみたいなものですし。
まあ、冗談にしては、確固として主張したいことがあるようにも見受けられたので、もしそうであるならば、自身の影響力が強いからこそ、もっと根拠をもって理屈だった議論を展開した方がいいと思いました。
とにかく、彼らのイタリア語の話は余計です。
*1:下の記事はこのブログに引用されていたものではありません。そっちは記事が削除されてしまっていたので、関連した別のをあげておきました
*2:まあ、あと、あまり踏み込みませんが、フェラーリが土俵に上がったというけれど、それは本当に土俵なのかしら、という疑問もあります。駒崎氏が引用している記事をみてみると、「土俵を模した」と書いており、あくまでも土俵ではなかったんだ、という意図が汲み取れます。なので、「フェラーリが土俵にあがった」というよりは、「フェラーリが土俵らしき場所にあがった」というのが正確です。とくダネ!でも、わざわざフェラーリのために作ったと言ってたので、本物の土俵としては認識されていないのでしょう。